脱毛の文化について

誰もが素敵だと思う生き方なんてないさ

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脱毛の文化について

寒い日が続いていますが、冬にありがたいことの一つには自身のムダ毛処理に目くじらを立てなくとも良いことがあげられます。いやいや、もちろん全く無頓着になるわけではないのですが、やはり1ミリという短さでも着る服によっていは目立ってしまうことがある夏に比べて、上着やセーターを着込んだり、長ズボンを履くことが多い冬はそれほどムダ毛が露出する機会に恵まれるわけではないので、多少ではあるものの心にゆとりが出来る。。。のは私だけでしょうか。

 

そもそも、どうして脱毛しなければならないのでしょう。例えばドイツでは女性のムダ毛処理に対するエクスペクテーションが日本のそれに比べてかなり低いように見受けられます。実際、真夏日に街で向こうから歩いてくるタンクトップの女性や電車で吊革につかまっている女性を目にすると、彼女らの年齢や容姿に関係なく周りも本人も実におおらかな様子でムダ毛(この場合はわき毛ですが)とお付き合いしているようです。それでもさすがに、絶世の美女が森林のようなわき毛にお構いなく腕を振り上げて踊っている姿に驚愕し、周りにいたドイツ人男性の友人ら5名にその姿に関してどう思うかそれぞれの意見を聞いてみると、皆口ををそろえたかのように‘わき毛は自然’なので処理されていなくとも全然気にならないと豪語するではありませんか!たまたまこの美女が金髪だったので、彼女の毛色の関係で目立たないからなのでは、と思い自分の連れがその真黒な林を脇の下からボーンと曝していても何とも思わないのかと聞いてみると、やはりそれは自然なものなのでそんなことでがたがた騒いだりする方がどうかしているとのことでした。うーん、流石ドイツ人、理論に一貫性があるなと心底感心していた時、ついでに脚のムダ毛はどうかと尋ねてみると何とそれは全く別な話であると平然と言い放ちます。脚にもじゃもじゃ毛が生えているのはおふざけで女装した男性といっしょにいるようで気持ちが悪い、女性としてのエレガントさを疑ってしまう等、脚の毛があたかも悪の権現であるかの如く言いたい放題です。同じ毛なのに何故こんなにも扱いが違うのは理解できず、脚に生えた毛を処理する時ただひたすら不憫に思うのでした。

 

そういいながらも、私も世間のムダ毛に対する厳しい風当たりに迎合して、脱毛サロンにちょくちょく通っていた時がありました。そこはワックス脱毛が早くて上手とのことでしたが、何だかんだいってやはり痛いものです。‘続ければだんだん薄くなる’との激励にしばらく鼓舞されていましたが、結局効果の程はよくわからず今となっては地道に自宅で脱毛しています。そんな訳で、寒がりですが冬は少し心が穏やかになる気が。。。するのです。